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未来は守られているか:OECD事務総長ドナルド・J・ジョンストンタイトル

 

2000/11/13

■2000年11月13日、米国原子力協会/欧州原子力協会国際会合、ワシントンDC

  私がOECD事務総長としてここワシントンで皆さんの前で講演しないかという親切な申し出をお受け致しましたのは、持続可能な発展という視点から見た原子力エネルギーは現代の最も重要な問題の1つであると考えているからです。最初にお断りしておきたいのは、私はOECD加盟国のスポークスパーソンとしてではなく、個人としてお話しするということです。皆さんもご存知のように、原子力エネルギーの未来についてはOECD加盟国間でも深刻な意見の分裂があり、日本と韓国という2つの際立った例外を除けば、新しい原子炉の建設を通じて原子力エネルギーの生産能力を高めようとする計画はないように思われます。

 また、私はこの講演で特定のエネルギーミックスを擁護する立場に立っていないということも強調しておきたいと思います。単に現実を直視し、疑問を提起し、その回答を得たいと考えているだけです。実際、本講演のタイトルである「未来は守られているか」というのもそうした問いの1つです。

 私としても、未来は守られている、つまり、「持続可能な発展」を支持している人たち、特に政治的指導者たちは未来を守るためにしっかり行動している、と考えたいところです。それは、結局、持続可能な発展とは何かということになります。しかし、私は、緊急な行動を要する現実とその必要性が政治的レトリックの中で失われているのではないかと危惧しています。

 まず、グロー・ハーレム・ブルントラント議長率いる環境開発世界委員会が1987年に国連総会に提出した「我々の共通の未来」と題する報告書にある、持続可能な発展の定義をご紹介します。これは一般にブルントラント報告書といわれているものです。

 その定義は、「持続可能な発展とは、将来世代のニーズに応える能力を毀損することなく、現世代のニーズに応えるような発展」というものです。

 持続可能な発展を定義しようという試みはたくさんあります。私が、この定義が他のものより適切だと思っているのは、最も幅広い意味合いにおいて環境、社会、経済への考慮をすべて備えているからです。しかし、本日はそうした幅広い文脈においてではなく、報告書に述べられている、「少なくとも、持続可能な発展は地球上の生命を支える自然のシステム、つまり大気、水、土壌、生物を危険にさらすものであってはならない」という要件に照らして、持続可能な発展についてお話したいと思います。

 これらの要素のいずれかが崩壊してしまうと、さらにこれらの要素のいずれかが欠如してしまっても、持続可能な発展の社会的、経済的目標を達成することは不可能になります。(閣僚理事会の要請により、OECDは来年5月に持続可能な発展についての重要な報告書を提出する予定です。この報告書は経済、社会、環境を包括的に考察する非常に広範囲に及ぶものですが、特に生物圏の健全性に焦点を当てています。)

 本日の私の講演では、持続可能な発展の1つの要素、つまり大気と気候変動についてのみ取り上げ、なぜ温室効果ガス排出量の現在の動向とそれに伴う地球温暖化が、OECD域外の人口増加とあいまって、地球的規模で世界を急速に破滅に向かわせているのかという点についてお話したいと思います。次いで、解決策の1つとしての原子力エネルギーの役割についてお話したいと思います。

 本題に入る前に、もう一言だけ、OECD自身について説明するとともに、持続可能な発展の問題に取り組む機関としてなぜOECDが相応しいかということについて触れておきたいと思います。

 OECDは現在、世界の先進工業国29ヶ国で構成されており、スロバキアが30番目のメンバーとして12月にOECDに加盟することになっています。OECDはマーシャル・プランの受け入れ機関だった欧州経済協力機構(OEEC)の後を引き継ぐ形で誕生しました。OEECは、ご存知のように、戦後の欧州復興で基軸的な役割を果たした機関です。OEECでは独特の政府間運営手続きが確立されましたが、OEECを引き継いだOECDでもこれらを継続することが加盟国間で決まりました。基本的には、政府関係者から成る委員会では公共政策のほぼすべての分野が取り扱われ、ここでは、ベスト・プラクティスを共有し、共通の懸念について分析し、多国間協力の指針と行動規準について協議しています。この政府間プロセスがいかに多くの成果を上げてきたか、ここで詳細を説明することはしませんが、OECDを代表して、OECDは20世紀後半の世界経済の発展で中心的な役割を果たしてきたとだけは言わせていただきたいと思います。

 OECDは本当の意味では機関ではありません。約140に及ぶ委員会と作業グループの活動をサポートする事務局(私はそのトップに立っているわけですが)を擁する常設の政府間会議と呼んだ方がいいでしょう。毎年5万人余りの代表団がこうした会議に出席していますが、もちろん、会議の中には高度に専門的なものもあります。例えば、OECDの下部機関である原子力エネルギー機関(NEA)の会議や、OECDの関連機関である国際エネルギー機関(IEA)関係の会議などです。さらに、加盟国も今では、全世界を網羅しているとはいえないまでも、グローバルな広がりを持つに至っており、約70の非加盟国と共同で様々なプログラムや活動も行なっています。こうしたプログラムの中には、市場経済化に伴ってOECD加盟国の経験とベスト・プラクティスを活用したいと考えているロシアや中国とのプログラムのように、極めて集中的なものもあります。

 以上からお分かりいただけると思うのは、OECDが、公共政策のあらゆる分野で専門知識を持つか、これを利用できる立場にあり、したがって、持続可能な発展のような学際的問題に取り組むのに相応しい機関であるということです。さて、本題以外のお話はこれくらいにして、次に、特に温室効果の大気と気候変動への影響という観点から、持続可能な発展という課題一部として取り組む必要のある重要なエネルギーの問題に移りたいと思います。

 OECD加盟国に次のように報告できればどんなによいでしょうか。経済成長を維持し、様々な形の貧困と疾病に耐えている人類の5分の4(そのうち12億人は1日の生活費が1ドルにも満たないのです)をOECD諸国並みの生活水準へと引き上げ、さらに、空気、水、土壌、生物を完全に保護し、おそらくはその質を改善して、将来の世代へと世界を引き渡すことができる安全でクリーンなエネルギー源がある、と。正しい政策アプローチと技術革新によって、いつの日かこうした宣言ができるようになるかもしれません。しかし、現時点では、世界は将来の世代に非常に異なった世界をもたらすことになる持続不可能なエネルギー利用を行なっているのです。

 私たちが危険な方向に向かっていることを示す最も重要な指標の1つは、大気中の温室効果ガスの濃度と、人類の活動がこの濃度に対して与えている影響に関するものです。

 温室効果ガスには、二酸化炭素(CO2)やその他の多くの、しばしばもっと複雑で特殊なガスが含まれます。CO2は最も強力な温室効果ガスではありませんが、最も大量に存在するもので、人類の活動による温暖化効果の大半を占めているものです。また、自然界による酵素触媒反応のために最も濃度を再構成しやすいガスでもあります。

(スライド1) このチャートは中世以降の大気中の平均的なCO2濃度を示したものです。注目すべきなのは、中世以降の大半の期間については濃度が270〜290ppmとなっているのに、19世紀半ばから濃度は劇的に高まり、今では360ppm−工業化以前の水準に比べて約30%増−に迫っていることです。

 この主因は化石燃料の燃焼によるCO2の排出です。この排出量は20世紀に入ってから7倍にも増加し、増加ペースは引き続き加速しています。

(スライド2) この1000年間には平均気温も上昇しています。このチャートは、北半球全体の年間の気温変化を示したものです。気温は、太陽光線の強さや火山活動などの自然現象の相対的な影響を映して変動していますが、19世紀末までは全般的にずっと低下傾向をたどってきたように見えます。

 しかし、1900年前後から気温は急激に上昇し始めています。上昇ペースはこの25年間、加速してきているので、現在の平均気温はトレンドより0.8℃近く高くなっていると考えられています。

 温暖化には地域差もあります。特筆すべきなのは南極半島で、平均気温はここ25年間で2.5℃上昇しています。

 この程度の気温の上昇はあまり大したことではないように思われるかもしれませんが、地球的規模で見ると累積的には途方もなく温暖化していることになります。世界中のすべての家がすべての暖房器をつけ、窓を開け放して、ほんの少しでも地球の気温を上げるにはどのくらいかかるか想像してみてください。聞いたところでは、10年かかっても地球の気温を上げることはできないそうです。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による最新の報告書案は、地球の気温は今後100年間に何と6.1℃も上昇する可能性があると結論しています。この報告書の予測によれば、私の母国であるカナダや北米の他の地域は、予測される上昇を考慮すると、気温の上昇が地球平均を最大で40%も上回るということです。

 要するに、私たちは人類史上前例のないほど危険な実験をしているのです。

 それがどうしたというのでしょうか。いったい誰がこうした状態を黙って見過ごせるでしょうか。緩やかな気温上昇の結果として今起きている異常気象を考えれば、急激な温暖化の影響は実に恐るべきものでしょう。暴風雨や、酷暑、酷寒、それに伴う洪水や干ばつで人命が失われています。皆さんも体験したと思いますが、米国北東部にはひどい雹が降りましたし、昨年12月には暴風でフランスの森林の多くが破壊され、パリの2つの公園だけでも14万本もの樹木が根こそぎなぎ倒されてしまったのです。

 これらはほんの一例にすぎません。ここでこうしてお話している今も英国は記録的な大雨と洪水に見舞われています。地球的規模で異常気象が発生し、環境と人間の幸福に深刻な被害がもたらされているようです。

 地球温暖化が生態系と生物多様性に破滅的な影響をもたらすのは明らかです。それが経済と人間の健康に影響するのも確かです。水位が上昇すれば世界中の低地の海岸には人が住めなくなってしまいます。熱帯病の蔓延とも闘わなければならないでしょう。メキシコ湾流やさらに大きな潮流の「コンベヤーベルト」が突然ストップし、欧州以外では気温が上昇する一方で欧州は新たな氷河期に突入する、といった懸念すらあります。今のような温暖化の傾向が続けば、私たちの子供がまだ生きているうちに、すでに起きている異常気象に加えて、こうした深刻な事態が発生する可能性があるのです。

 こうした状況を変えるために何かできるでしょうか。もちろん、私たち世界の先進工業国にはできます。結局、私たちの人口は安定していますし、難題の克服に立ち上がれば、私たちの豊かさと技術力からして、おそらく、排出量を削減しながら現在の物質的豊かさのレベルを維持できるようなクリーンで安全なエネルギー技術を開発することはできるでしょう。

 しかし、問題の解決には大きな障害があります。世界の他の地域における貧困と人口増加です。

(スライド3) このチャートは、2150年までの、国連による最新の中心的な人口予測を示したものです。注目すべきなのは、先進国と途上国の人口増加率の違いです。国連は21世紀半ばまでに世界全体の人口は50%増加すると予測していますが、実質的にはこの増加のすべてがOECD域外で生じることになります。

 最近、グローバリゼーションについてよく耳にしますが、OECDはすべての人の利益のためにこの後戻りできないプロセスの形成にむけて重要な取り組みを行っていると自負しています。忘れてならないのは、グローバリゼーションによって40〜50億人に上る世界的な中間所得層が出現しつつある、ということです。これはグローバリゼーションの最も大きな利益の1つでしょう。この中間所得層は、快適な住宅、輸入食品、海外旅行といった現代文明の恵みを同じように享受したいと思うでしょうが、これらのすべてが1つの重要なインプット、すなわちエネルギーに依存しているのです。

 OECD域外を、現在のエネルギー消費量によるOECD諸国の生活水準まで引き上げるとすると、エネルギー生産量を30倍も増加させなければなりません。人口の点では途上国がOECDの5倍、1人当たりエネルギー消費量の点ではOECDが途上国の6倍だからです。

 もちろん、エネルギー生産量が一気に30倍にもなるなどということは誰が考えてもありそうにないことです。

(スライド4) 国際応用システム分析研究所(IIASA)による2100年までの地域別一次エネルギー消費量の中心的なシナリオによれば、世界全体の消費量は4倍に増加しますが、その増加はほとんどすべて途上国で生じます。

 これだけのエネルギー需要をどのように満たすのでしょうか。

 人間が引き起こしている温室効果ガスの主因である化石燃料について見てみましょう。多くの専門家の予想によれば、石油の生産量は21世紀半ばまでにピークに達し、その後は減少に転じます。埋蔵量の豊富な石炭によって、その分は簡単に埋めることができます。地質学的な理由から、天然ガスは石油より豊富に存在しているので、天然ガスについては絶対量が増加してゆき、その後、安定すると予想できます。この「何の変哲もない」シナリオの下で、IIASAは、化石燃料の使用量は21世紀に倍増すると予測しています。

 化石燃料の燃焼と先ほど見た大気中のCO2濃度の間に強い関係があることを考えると、21世紀も現在と同じかそれ以上のペースで化石燃料を燃やし続けることが本当にできるのでしょうか。そんなことをすれば、地球温暖化と気候変動にとり返しのつかない結果を招くことになります。

 太陽熱や風力、潮流の利用といったクリーンで再生可能なエネルギー源についてはどうでしょうか。確かに風力やソーラーパネル(太陽電池板)、さらに潮流や潮力についてもさらに開発する余地は残されているでしょうが、基礎的なエネルギー需要への貢献度は微々たるものにとどまるでしょう。例えば、最近読んだ記事によれば、トロント市の現在の電力需要を満たすためには、1メガワットの風力発電機が約4万個必要とされ、それでも5656平方キロというカナダで一番小さな郡であるプリンス・エドワード島の3倍の地域しかカバーできないというのです。もちろん、風はいつも吹くわけではありませんし、太陽もいつも出ているわけではありませんから、こうしたエネルギーの貯蔵という、まだ緒についたばかりの別の課題も抱えることになります。

 現在明らかになっている証拠などを検討したところ、私としては、私たちが自らの需要を満たしているように、将来の世代もそうできるような地球を次の世代に手渡そうとすれば、原子力エネルギーの選択肢を考えるしかないという結論に達しました。私は間違っているかもしれません。もしかしたら、私が達した結論に反するような証拠や事実があるかもしれませんが、まだそうしたものは目にしていません。原子力はふんだんに作ることができ、際限なく作れるといってもよいくらいです。そして、悪影響をもたらすような温室効果ガスも発生しないのです。

 ここで明らかな逆説についてご紹介したいと思います。私がまだ若かった頃には、第2次世界大戦末の広島、長崎の悲劇にもかかわらず、アイゼンハワー大統領の「原子力平和利用」政策が未来のあるべき姿として広く信奉されていました。ウィリアム・ローレンスは1955年8月15日の「ニューヨークタイムズ」で、ジュネーブで開かれた大規模な国際会議に出席した科学者たちは、原子力エネルギーのおかげで「史上初めて人類は実質的に際限のないエネルギー供給源を手に入れた」と指摘した、と書きました。

 当時、原子力エネルギーは途上国にとっても先進国にとっても天の恵みと見なされていました。化石燃料はいつかは枯渇すると思われていましたし、もちろん、当時の予想より枯渇する日はやや先延ばしになっていますが、今でもそう思われています。しかし、化石燃料については、現在考えられているようなとり返しのつかないダメージを大気に及ぼす可能性があるなどとは当時は思われていませんでした。

 今日、大気は温室効果ガスで充満し、地球の気温は劇的に上昇し、地球の人口は1955年以降2倍以上へと増加し、大半の人々は途上国で貧困状態にあります。にもかかわらず、私たちは40年余り前には未来への切り札と見なされていた原子力の選択肢を否定しているように見えます。

 なぜ原子力エネルギーへの一般の、ひいては政治的な態度が変わってしまったのでしょうか。21年余り前のスリーマイル島の、また最近ではチェルノブイリでの事故が、原子力産業の発展に大きな悪影響を及ぼしているのは極めて明らかだと思われます。おそらく原子力研究の国防的方向性から受け継いだものでしょうが、原子力産業の秘密主義的性格によって事態はさらに悪化しています。先ほど申し上げたように、日本と韓国を除けば、現在のところ、OECD諸国には新たな原子力施設の建設計画はありません。実際、他の国々は、ドイツの例に倣って、原子力の利用を徐々にやめていく可能性があります。

 最近、私はバートン・リヒターとカルロ・ルビアという2人のノーベル賞物理学者の訪問を受けるという光栄に浴し、2人と原子力エネルギーの将来について話し合う機会に恵まれました。また、バートン・リヒターがその直後にイタリアで行なうことになっていたスピーチも読ませていただきました。彼のご好意に甘えて、スピーチの一部を引用させていただきます。彼はこう述べています。

「世界の他の地域が生活水準を引き上げることのできる技術を、地球環境を破壊せずに開発することは、倫理的な見地からも自己利益の見地からも、私たちの責任です。本題からは少し外れますが、ほとんどの科学者が緑の運動によって原子力に反対の姿勢をとっていることに私はある種の当惑を感じています」。

 本日、私がお話したいと思っているのはまさにこの点なのです。私は、私たち(あるいは皆さんのような科学者)にはエネルギー上の難問を解決する技術を開発する責任があるというリヒターの意見に賛成です。しかし同時に、科学者や他の関係者、指導者が当惑しているだけでは十分ではないと思います。原子力という選択肢を、十分な情報を提供した上で公開討論の主題にしなければならないのです。

 ここで、科学者にはよく知られているのでしょうが、おそらく一般の人々にはあまり知らないように思われる原子力エネルギーに関する事柄をいくつか簡単にご紹介します。私自身、原子力エネルギーの専門家ではありませんし、そうなる可能性もありませんから、リヒター博士からの引用です。

 博士はスピーチの中で多くのソースからの放射線の照射線量を示した表 (スライド5) を紹介しています。放射線の照射線量のレベルについて説明した部分で、博士は次のように指摘しています。

「もっとも照射線量が多いのは自然放射能です。このうち約6分の1は人体そのものの自然放射能によるものです。人体の自然放射能の照射線量は、チェルノブイリ原発事故が発生した年にオーストリアに及ぼした照射線量の約2倍です。原子力発電所と火力発電所は同量の動力を作る際に発生させる照射線量がほとんど同じです」。

 リヒター博士は、広範なデータを掲載した「エネルギーシステムの健康リスク」と題するドイツのグループによる論文も引用しており、次のように結論しています。

「発電所操業テラワット時間当たりの喪失人命年数で見ると、原子力発電より優れているのは風力発電のみです。

 放射性廃棄物の処理を懸念する声が聞かれますが、ほとんどすべての科学者は、そうしたことは問題にならないというだろうと思います。多くの方法で埋設処理できるからです。すべての国にこうした処理を行なうのに適切な地層があるわけではありませんが、全世界の放射性廃棄物を取り扱う国際的な処理場を作るのは難しいことではありません。長期貯蔵からの放射線放出を理由にした原子力発電反対派が夢想している最悪のシナリオでも、従来のエネルギー源の継続利用に比べると喪失人命年数はごくわずかです。原子力発電への反対は何とも理解しがたいものです。いかなるエネルギー源もリスクがないわけではなく、重要なのは適切な分析によってリスクと利益のバランスを保つことなのです。こうしたバランスの点から見て、原子力発電は大半のエネルギー源より優っています」。

 リヒター博士からの引用はこれで終わりにします。

 リスクは公共政策上の意思決定につきものです。しかし、リスクは、特定し、評価しなければなりませんし、リスクに費用便益分析を適用しなければなりません。もちろん、リスクは管理もしなければなりません。したがって、原子力について考える場合、問題なのはリスクがあるということではないのです。リスクがあるのは明らかですが、他のどのような選択肢と比較してなのでしょうか。わずかな事故のせいで原子力を放棄しなければならないのでしょうか。ダムは多くの場合、人口密集地の上流に作られています。1918年から1958年までの間に33の大規模なダムの倒壊があり、多数の人命が失われました。1959年から1965年までの間にも9つの大規模なダムの倒壊が起きています。だからといって、ダムの建設を止めたでしょうか。採炭作業には大きなリスクが伴うからといって、石炭を放棄したでしょうか。していません。そうではなく、技術の信頼性を高め、安全性の基準を厳格化したのです。

 しかし、一般の人々の大半は事実を知りませんし、確信も持っていないように思われます。さらにいえば、原子力の問題は、遺伝子組換食品(この問題にもOECDは取り組んでいます)と同様に、安全のための適切な規制的枠組みの構築や適用にあたる政府の能力や科学に対し人々が不信感を募らせている時期に起きているのです。「エコノミスト」誌は狂牛病に関する最近の社説で、「狂牛病の政治的、文化的な遺産は莫大なものである。そのために、科学とそれを規制する政府の能力への一般の信頼感は地に落ちてしまった」と書いています。

 おそらく無理からぬ面もあるでしょうが、一般の人々は論議を呼んでいる科学的問題をすべて不信と疑いの目で見る傾向があります。狂牛病のような1つの分野の懸念をうまく処理できないと、それがすぐに他の分野にも波及し、その結果、事実と健全な科学的分析がしばしばあふれんばかりの誤解と恐怖心の中で失われてしまうのです。政治家がこうした恐怖心に身を委ねてしまったり、あるいは単に問題の処理を拒否するようになるのも驚くべきことではありません。私としては、多くの国の原子力をめぐる論争の特徴をなしているのはまさにこの後者の態度−問題処理の拒否−だと申し上げたいのです。

 結論としては、私たちが未来を守るべきであると信じているなら、緊急に行動を起こすことによってそれを証明しなければならないのです。私たちは、事実を知らせ、原子力エネルギーにまつわる神話と恐怖心を一掃するため、一般の人々向けの啓蒙キャンペーンを実施しなければなりません。このキャンペーンは、特定のエネルギーへの選択肢に既得権を、持っていない政治家や民間の指導者によって主導されるのがベストですが、彼らがこの責任を放棄する場合には、原子力分野に身を置いている皆さんがその責任を果たさなければなりません。いずれは将来の世代のために尽力したいと考える幅広い層の立派なスポークスパーソンが皆さんの側に加わってくれるでしょう。

 このキャンペーンは、原子力のリスクと利益の公正な評価と問題解決策に基づいていなければなりません。OECD傘下のNEAが最近公表した「原子力エネルギーと持続可能な発展」と題する報告書は、こうした方向への非常に前向きなステップといえるものです。

 原子力エネルギーをめぐる恐怖心と疑問は、操業プラントからの放射線漏れなどの安全性の問題、原子炉と核兵器拡散の関係、放射性廃棄物の危険性など、たくさんあります。おそらくこの中で最も大きな恐怖心を呼んでいるのは放射性廃棄物の危険性でしょう。長期的問題である上、何千年にも及ぶ地質の安定性への影響が懸念されているからです。

 この問題についてはカルロ・ルビアが私に話してくれました。彼は加速器駆動システム(Accelerator Driven Systems)を話題にして、発電しながら放射性廃棄物を無害な灰にしてしまう見通しについて話してくれました。ご承知のとおり、私は科学についてはコメントできませんでしたが、原子力分野で可能な限り技術革新を推し進めることの重要性に打たれました。世論やひいては政治を再び原子力エネルギーの重要性を支持する方向へともっていくには、安全性とコスト面での更なる進歩を証明してみせる必要があるでしょう。例えば、第4世代原子炉の目標には、高度の経済性、拡散への抵抗性、安全性の強化、廃棄物削減など、目を見張るものがあります。こうした面で前進していけば信頼感の回復に寄与するでしょう。

 核融合や第4世代原子炉などあらゆる分野におけるエネルギー研究を加速する方向に膨大な資源や科学的専門知識を動員するため、OECD加盟国にグローバル・サイエンス・フォーラムもぜひ活用してほしいと思います。ロシア、中国、インドなどのOECD非加盟国もこうした動きに加わるべきです。

 エネルギーの未来は、地球のある一部分の未来ではなく、暗い無人空間の中を移動している淡青色の小さなもろい地球という惑星の未来なのです。バートン・リヒターは次のことを私たちに思い起こさせてくれました。「太陽系には私たち以外に生命体は存在しないように思われます。私たちが生きている閉鎖的なシステムは、私たちがこれに何をしようと存続するでしょうが、人間の命を受け入れてくれるような状態では存続しないかもしれないのです」。

 ですから、このシステムが人間の命を受け入れてくれる状態で存続するように、全世界が協力しようではありませんか。それこそ私たちが将来の世代に約束しなければならないことなのです。

[図表 (http://oecdtokyo.org/news/news_pdf/sgnuclear.pdf) を見る]

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