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 OECD Observer 日本語版

アジアの産業危機:いったい何が起こったのか

DTHOMAS ANDERSSON AND PETER AVERY
DIRECTORATE FOR SCIENCE,TECHNOLOGY AND INDUSTRY

DSTI.CONTACT@OECD.ORG 

 1997〜98年にかけ地球を襲った危機は,単に金融のものではなかった。事実,産業における諸問題がその根本原因であった。このような問題を理解することが,各国政府がこのような危機が再発するリスクを減らすのに役立つであろう。

 1997年7月2日,タイ政府は同国通貨バ−ツの防衛努力を止めた。多方面における圧力が抗しきれなくなったのである。大量の短期民間資金が流入した時期の後,資産価格は低落し,建設は鈍化した。輸出の伸びもまた鈍化したが,これは一つには,セミコンダクターに対する世界的需要が,当時著しく低下したことを反映したものである。また,バーツが強いドルにリンクしていたため,その価値は,弱くなった円に対し上昇した。これはタイの為替レート政策にとって,棺桶の釘となり,バーツのドルへのリンクを守ろうとすることは,あらゆる対策を無効にしたのである。このリンクが放棄された当初,投資者は喜び,長期に亘る株価の低落は反転した。しかしその熱気は短命であった。バーツは規則的変動はせず,低落していった。1998年1月底値をつけた時,その価値の50%以上を失っていた。危機はタイに限定されていたわけではない。同じような圧力はインドネシア,フィリピン,マレーシアに及び同じような結果をもたらした。この危機が遙かに多くの国を襲うという恐怖が,地域的そして世界的レベルで広がった。韓国は1997年遅くに屈した。ロシアは1998年8月に危機に陥った。ブラジルも1999年1月に同じような状況に陥った。しかし危機は金融だけのものであったのだろうか。危機の金融的側面が大部分の関心を集めた。妥当とされた分析は,アジアにおいて危機にさらされている国々の国内金融制度は充分に発展しておらず,金融市場の迅速なグローバル化や投資者の継続的なむら気に対応できないというものであった。多くの戦略的政策立案者は,国際金融制度を改革して,突然また不測の短期的資金移動に耐えられるようにしようとした。国内金融制度の発展と改善にも一定の重点を置いた。

 しかし,危機は金融現象を遙かに超えるものであった。それは産業の基本的な側面にかかわるものでもあった。重要な構造的弱点が発現したが,それは,アジアの一部の特別な国々の経済成果における足元の怪しい熱気に隠されていたものである。しかしよく調べてみると,緊張の兆候は1996年並びに1997年期にますます鮮明になったことを示している。

 最初の兆候は多くの部門での設備過剰が増大していることであった。いくつかのアジア諸国の経済は,長い間,鉄鋼,自動車,エレクトロニクスのような重工業およびハイテク産業への投資に狙いを絞った,野心的開発計画を進めてきた。このような狙いを持った行動が各部門への及ぼす全体的影響についてはあまり関心が払われてこなかった。増加した設備能力は世界的な通商障壁の低減と相まって,競争的圧力を強化した。そのうえ,各国政府が自国経済をハイテク企業へ導いた熱心な努力は,新しい企業を支援するに必要な技術的能力を取得する前に行われることが多かった。その結果は,投入財や技術の輸入に対する大きな依存となった。こういった技術的知識の不足は多くの新しい施設が,本来持っている能力以下にしか稼働しないという結果を招いた。それは又,今日の知識集約的,ハイテク部門の生命線である企業の革新をも難しくしている。同時に,競争につまづきが生じ始めたが,それは増大する経済活動が賃金上昇圧力を生み,ドルに結び付けられた実質為替レートがドルの上昇に伴って過大評価されたことによるものであった。

 資金を得やすく,貸出基準も厳格でなく,企業はいいプロジェクトも悪いプロジェクトも同様に資金を借りやすかった。これは産業複合体に借金をさせることとなった。危機の前,インドネシアとタイでは,非金融会社の債務が自己資本の2〜3倍にもなった。この比率は,一般に1995年から1996年にかけて上昇した。1997年末の韓国において,資本に対する負債の割合は上位30のコングロマリット(chaebols)で500%以上であった。このような負債比率の高い状態も,設備能力の稼働率が高い時は維持できるが,その稼働率が下がると,拡大しすぎた会社は厳しい金融困難に陥る。破産するものも少なくない。例えば,韓国では会社の支払い不能が1992〜96年の間は年間で9,500〜14,000件であったものが,1998年には23,000件に達するまでに急増した。


貧弱なコーポレート・ガバナンス

 会社の経営者は,時に馴れ合い的な政治的支持を得て,極めて独立的なやり方でその企業の成長について,過度の裁量権を持ってきた。銀行と規制当局による充分な監視が明らかに欠けており,株主に対する説明責任も殆ど果たされなかった。オーナーは利益より拡大を重視したが,この戦略は従業員,顧客,部品等供給業者が強く支持してきた。会社の閉鎖的性格は,外国の技術と経営上のノウハウの移転や採用を遅らせた。一般に透明性が欠け,小口の株保有者には殆ど注意が払われていない。その結果,多くの投資額の少ない投資者は次第に会社のポートフォリオに注目するようになった。


中小企業の喪失

 狙いを定めた産業の拡大の重視は,中小企業の犠牲の上に立ち,多くのOECD諸国で産業発展を支えてきた大企業と中小企業の連係は,ここでは発展しなかった。大企業はますます,金のかかる輸入技術に依存するようになり,中小企業は取り残されて創造力の不足が悪化した。重視された企業も中小企業もこのような産業政策の2分に苦しみ,輸出の鈍化を見ても明らかであるように競争力を失いはじめた。一般的賃金水準の上昇により,これら諸国経済は低賃金産業での競争力を余りに急速に失うことになる。

 金融危機は,良く経営されてきた会社をも,悪い会社をも等しく侵した組織的ショックであった。財・サービスに対する国内および地域的需要は崩壊した。輸入品コストは国内通貨で急騰し,同様に外貨表示の借入金に対する支払いも大きく伸びた。各国政府はその通貨を支えようとする措置を採ったので,金利は上昇し,信用供与は慎重な貸出のため減少したが,中小企業は特にそうであった。

 これらすべての結果は,販売が少なくなり,コストが高くなったことである。例えば,フィリピンでは1998年の国内需要は8%落ち込み,インドネシア,マレーシア,韓国,タイでは20%又はそれ以上落ち込んだ。1998年中頃には,会社の多くは債務支払い不能となるか,大きな損失を抱えいた。国内および地域需要の不振に当面し,そのような状況におかれた各会社は,1990年代中頃のメキシコのように,輸出を増やそうとするものが多かった。アジアの場合も貿易の変化が起こったが,危機を相殺するに必要な程度にまでは到らなかった。輸出量は増加したが,その金額はドルでは実際に減少した。同時に輸入のドル価格も約3分の1減少した。その結果は,5カ国を総合した貿易収支でなんと1,300億ドルから1,350億ドルもの変化となり,1996年の約500億ドルの商品貿易赤字が,1998年の約800億ドルから850億ドルもの黒字に転じた。

 金融危機は当初ほとんどのOECD諸国であまり大した影響もなかったが,それが広がり深まると,次第にその影響がはっきりしてきた。OECD諸国の経済成長は1997年の3.3%から1998年の2.3%に落ちたが,主として危機のためである。貿易の成長がまた著しく鈍化し,特にアジアなど危機を抱えた諸国への輸出が急激に落ち込んだ。

 商品市場のようないくつかの部門に対する大きな影響があった。最近数カ月の間は大きな回復はあったものの,すでに圧力を受けていた金属価格は1997年7月から1998年12月の間に45%下落し,石油価格も同じ時期に約40%下落した。商品価格に加え,危機は鉄鋼業および造船業に大きな影響を及ぼした。鉄鋼では,価格の下落と貿易の流れの変化のため,貿易上の緊張が高まり,反ダンピング措置や関連した貿易制限措置の世界的増加を招いた。例えば,欧州連合では輸入が1998年43%増加して2,340万トンになり,輸出は15%減少して2,400万トンになった。同様に,アメリカでは,輸入が33%増えて,記録的な3,770万トンとなり,輸出は8.5%減少して500万トンとなった。価格について見ると,世界貿易の主要項目である輸出入の圧延鉄板へのスポット価格は(1999年末に至る)危機の間に約30%下落した。造船業では注文は多かったが,低価格が造船会社に押しつけられた。船主は低価格を利用して注文を増やすと造船業にとっては新規注文が減ると,それだけ困難が大きくなるわけである。

 危機はまた良い影響も与えた。危機は疑いもなく合併と取得(M&A)による一部産業の再編成を加速する上で,一定の役割を果たした。石油産業でもそのことが見られ,市場の不振が(例えば,エクソン・モービルとBP−アモコ−アルコのような)大きな合併のうねりと背後の推進力をもたらした。商品価格の下落もOECD諸国のインフレを抑えるに役立ち,一部会社のコストに良い影響をもたらした。例えば,17のOECD諸国の消費者物価は1998年2%以下の上昇率で,前の水準と比べ遙かに低かった。しかし日本(と中国に)すでに現れてきたデフレ圧力が広がる危険がある。このようなことが起こると,競争上の圧力はますます多くの部門で強まり,会社の倒産や失業の増加,より広範な産業集中とリストラクチャリングへの圧力を強めることになろう。危機により,アジアの5つの国は,印象的改革計画を採用した。これには金融部門の改革,投資部門の民営化と自由化が含まれる。またそれらは情報開示を改善する法制を強化し,株主を保護し,コーポレート・ガバナンスを改善しようとしており,会社部門の債務問題を解決する方法を進めている。インドネシア,韓国,タイにおける弱体な破産法に対し改革が行われた。最後に,各国政府は,中小企業の重要性に注意を払い始めた。貸し渋りの結果を緩和するため,中小企業への資金が供給され,この部門を強化するという新しい約束が行われた。

 一般経済状況での改善が進むなかで,改革過程が鈍化する危険が依然存在する。各国政府は,改革が完全に実施され,政府の意向もしっかりしているとして,改革の鈍化が生じるのを防ぐためすぐ行動すべきである。指導原則は,政府は小手先の介入をせず,市場主導の変化を奨励する枠組みを作ることにあるべきである。同時に,産業政策は経済構造の変化に合わせて適用しなければならない。伝統的製造業は依然重要であるが,将来の成長と職場創造の推進力はますます知的活動とサービスにかかることになる。政府はこれを認め,創造的な中小企業を推進し,それらと大企業との連係を改善する政策を採るべきである。政府は創造に関し,製造業での伝統的R&Dを超え科学と産業の仲介面を強化するよう,政策を拡大すべきである。政府はまた労働市場をより弾力的にし,技能の向上と生涯に亘る学習の強化を図り,製品市場参入の条件を改善すべきである。

 最も重要な挑戦の一つは政府が保護主義的圧力に対抗することであろう。このことはグローバル経済への各産業の調整を進める政策を強化することを意味する。例えばリストラクチャリングでその雇用が危うくなっている労働者の再訓練と再雇用を計る有効なプログラムを開発することである。また,そのことはコーポレート・ガバナンスの分野から,イノベーション,企業精神,中小企業の発展などの分野でOECD諸国とそれ以外の諸国の協力を進めることも意味する。結局,危機は余りに良く見えたものの真実が何であるかを,われわれに気づかせてくれた。アジアの奇跡は相当期間に亘って,見事な結果を生んだが,バブルがはじけると基礎にある弱点がはっきりと見えてきた。われわれを勇気づけるのは,世界的な協力が回復推進で大きな役割を果たし,危機に陥った国における改革が,より開放的で競争的な市場を基礎としていることである。それら危機を経験した国にとっても貿易相手国にとっても「双利的」であるはずである。


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