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進化せよ,さもなくば死あるのみ! 厳しい忠告であるが,来るべき21世紀とミレニアムについて沈思すれば,非常に適切な忠告である。1893年,作家でありジャーナリストであるジョン・ハンソン・ビードルは,未来学のために以下のような小文を書いた(1994年10月15日の「ニューサイエンティスト」に掲載されている)。
「あらゆる歴史が示しているように,社会の進歩は常に予め描かれた線とはかなり異なる線に沿って進むものであり,その原因は,一般に,ほとんど誰も予想していなかった発明や発見にある。」
当時,多くの「アメリカの最大の偉人」に1993年の世界を予測するように依頼した。それはシカゴ万国博覧会の折であった。ビードルの意見が最も優れていたようである。彼は「ニューサイエンティスト」の記事の中で次のように述べている。「一つの明らかな教訓は,未来の予測に関しては科学技術の専門家も詩人や牧師と変わらないということである。」
紹介された例は面白いと同時に考えさせられるものである。それらが実際当時の傑出した人々の予測だったことを考えるとなおさらである。例えば,当時電気の「交流」の発明でエジソンを凌いだジョージ・ウェスチングハウスを取り上げてみよう。ウェスチングハウスは,機関車は時速100マイルという速度を達成するかもしれないと予測したが,実験ではたとえ完璧なブレーキでもその速度では汽車を止められないことが明らかとなった。彼は「理想的な速度は時速40マイル程度であろう」と結論を下した。「ニューサイエンティスト」がコメントしているように,これは時速100マイル以上も遅すぎる数値である。
現在の最も優秀な頭脳の持ち主でも,おそらく現在から直線的に未来を推測するという同じ罠にはまるだろう。ビードルがあらかじめ描かれた線と言ったのはこのことである。しかし次世紀以降について考えるとき,これはどのように関係してくるのだろうか。それは「適応性」という言葉にまとめることができる。
我々は未来がどうなるか予測することはできない。従って,我々の考え方,直感及び習慣をより柔軟にしなければならない。ダーウィンはその独創的な研究「種の起源」においてこの適応性を明らかにしている。彼は生物学的世界を観察したわけであるが,社会経済学的世界についても同じ原理があてはまる。またダーウィンは「生きた化石」を発見した。それは十分に解明されていない何らかの理由で進化に抵抗したように思われる一部の種のことである。ワニ,ゴキブリ,一部の珍しい魚類はこの定義にあてはまり,数百万年を経た今でも目立つ変化は認められない。しかし数百万年前に生物種の進化について直線的推測を行ったならば,1893年の予測よりもいっそう不正確な予測になったであろう。万物は概ね環境のもたらす厳しい条件に応じて進化してきた。ホモサピエンスは典型的な例である。我々自身,我々のDNA,美男美女,映画スター,モデル,ヒーローなどを類人猿と関連付けることは,我々にとって未だに難しい。しかし実際にそうなのだ。
新しい千年を迎える今,我々の前には「グローバリゼーション」と言う現実に捕われた世界がある。この新しい環境に即座に適合できない者は,生き残ることが難しいだろう。適応できる者が21世紀に世界をリードすることになる。これはエレクトロニクス・ビジネスにおいて明らかであり,バージン・グループのリチャード・ブランソンのような起業家は,インターネット上の新しいチャンスを利用している。しかし変化があまりにも急激であるため,最も成功しているビジネスリーダーでさえ進化しつづけていかなければならないだろう。
グローバル化は政策ではなく,我々の生活のあらゆる面に影響を及ぼすプロセスである。我々は必ずしも常にそれを好まないかもしれない。というのもグローバル化は,結局のところ,心地よい習慣をあきらめさせることになりうるからである。しかしそれに逆らうことは全く愚かなことである。それでも一部の人々はグローバル化の激しい潮流に抵抗できると考えている。雇用を守るために保護主義にしがみついている人々を考えてみよう。彼らの考え方は化石化している。彼らは,その行動によって物価を押し上げ,実際に雇用を破壊し,開発途上国の同じような雇用機会を封じていることを忘れている。しかし政府が教育,技能向上,その他の市場指向の施策を施さなければ,保護主義者がその主張を擁護するのももっともであるかもしれない。政府も適応性を身につけ,新しいチャレンジや公衆の要求に合わせて政策を策定しなければならない。企業は,その統治機構の質,正当な方法で契約を獲得する能力,社内外において株主のニーズに配慮しているかどうかといった基準や,利益をあげ,株主を満足させるという従来の動機を超えるその他の基準により判断されることになるだろう。例えば,人的資本投資について,軽率な又は怠慢なアプローチをとる企業は,実際この先非常に厳しい目にあうだろう。
適応能力は生存に不可欠なものである。あらゆる種類の制度及び慣行は,新しい環境に即座に対応しなければ,障害に直面することになる。進化を遂げ,その力を近代化した制度に持ち込む方が,消滅して,未知の,又は危険な制度がその残された空間を埋めるよりもよい。これはもちろんOECDや他の国際機関についても言えることである。複雑な多国間システムの中でいかに質の高い仕事を維持し,加盟国のニーズを満たし,非加盟国にとってのOECDの関連度をいかにして高めたらよいのか。これは我々のチャレンジの難しいところである。明らかにOECDは進化しなければならない。どのような選択肢があるのか。「生きた化石」となり,未来の世代が口をあんぐりとして見るような恐竜になることは,威厳のある選択肢ではなく,実行可能な選択肢でもない。従って,進化に代わる唯一の真の選択肢は消滅することであろう。
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