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誰もがニューエコノミーについて語っている。しかし,その経済学はどうなのか? ニューエコノミーは本当に存在しているのか? おそらく。しかし経済学者や政策立案者にとっては,更にいっそうの証拠が必要である。
アメリカ経済はほぼ10年近くに亘って驚くべきペースで成長を続けている。それはあらゆる予測を上回って,今世紀最長の拡大をもたらしている。これは予測できたことだろうか? 10年前,生産性のパラドックスが極めて明白だった。ノーベル賞受賞者のRobert
Solowは適切にもこう言った――コンピュータ時代はどこでも感じられるが,生産性統計だけは例外である,と。この10年間でついに生産性統計も例外でなくなった。それは,コンピュータ時代が,それとともに最低限のインフレと極めて低率の失業,実質賃金の上昇,その他諸々の副産物――ストックオプションからバイオテクノロジーにいたる,ベンチャーキャピタルからインターネットにいたる――を伴う持続的な高成長の時代が,ついに到来したことを示している。こうしたことはどれも厳密にはアメリカに限定されるものではないが,どちらかといえばOECD全域では進展は不均等であるように見える。いずれにせよ,現在では「ニューエコノミー」について語ることが流行となっている。これは,厳密な定義を拒む用語ではあるが,現在生じている多数の変化――その大部分はよい方向への変化――のすべてを要約していることは明らかである。このような変化は,通信,金融,貿易の分野において,そして更に重要なことに,ビジネスの進め方や我々の生活の組織化の方法にも認めることができる。
ここで3つの質問を立てることが適切であろう。第1に,ニューエコノミーとはいったい何なのか? しかももっと重要なのは,いったい何でないのか,である。第2に,アメリカとその他OECD諸国の経済におけるこうした根本的な変化について,これまでにどのような証拠が収集されているのか? そして最後に,こうしたことすべてから,その必要があるとして,どのような重要な政策的考察を引き出すことができるのか? ニューエコノミーの実際の意味の検討に入る前に,我々が海図のない大洋に漕ぎ出そうとしていることを理解しておかなければならない。皮肉なことに,情報革命にもかかわらず,多くの場合,本来の経済情報がまったく欠けていることである。国際的な比較は,しばしばまったく厳密さを欠く方法に依拠してなされなければならない。しかし,今やおそらく,エコノミストたちが興味深い仮説を立て,若干の予備的な結論を引き出し,更には可能な行動方針を示唆することのできる,十分な証拠が存在するだろう。
「ニューエコノミー」という概念は,経済成長に対する技術進歩の影響と密接に結びついており,現在の論争では,経済パフォーマンスに対して情報通信技術(ICT)の果たす役割が核心となっている。議論が分かれるのは,ICTの分野における技術革新とその普及が,一国の経済生産高の潜在成長率を押し上げて,強力なインフレ圧力に火をつけることなく国民所得の大幅な増大を可能とするかどうかである。これは必ずしも,ときとして強調されるように,インフレの「死」を,あるいは景気循環の永久的な平準化を意味するわけではない。ただ,インフレを伴わない相対的に高率の成長が相対的に長期間に亘って持続しうる,ということを意味するだけである。
ICTが潜在的成長率の引き上げを可能とする経路は3つある。第1は,ICTの製造部門それ自体である。これは,それ自身の(ますます効率的になる)産出によって全体的成長に直接的に貢献する。第2の経路は,ICT投資の増大である。これは経済全体の資本強度を引き上げ,ICT装置の品質の急激な上昇と価格の下落に反映される。第3は,いわゆるスピルオーバー(溢出)効果である。インターネットの普及や電子商取引の拡大がその典型である。この最後の経路は,大幅なコスト削減と組織の改善を企業にもたらす。経済全体においては,このような節約と効率の上昇は,生産プロセスに使用される労働と物的資本の量の増大(および質の向上)によっては説明がつかない成長部分の急速な拡大という形で現れる。これがエコノミストの言うマルチファクター生産(MFP)の向上である。
新しいものが新しくなくなるとき
ニューエコノミーの「新しさ」は,過去においてはほかにニューエコノミーがなかったという意味に解されてはならない。逆に,経済の歴史,特に過去2世紀間のそれは,相次ぐ技術の変化の歴史でもある。電気の革命があり,内燃エンジンの発明があった。通信技術の革新は以前にもあった。例えば,電報や電話,そしてもちろんラジオとテレビの発明である。輸送手段についても言わずもがなである。これらすべてが我々の生活を変えた。しかしエコノミストが問うのは,こうした以前のニューエコノミーのどれが長期的成長率の永久的上昇をもたらしたか,である。
たとえ生活水準の大幅な向上がもたらされたとしても,この質問に答えるのは簡単ではない。事実,新技術の導入は,最初は生産性の鈍化と経済成長の低下をもたらすことがある。新技術の普及とそれを中心とした人的資本の組織と開発には多大の試行錯誤が伴うそれは本質的にやりながら覚える過程である。それは不可避的に,ある技術の経済的応用の開始と生産性の向上に対するその効果の関係を複雑にする。
もちろん,その効果はいずれは明らかになる。統計上,生産性が飛躍的に上昇するときである。効果が長期に亘って持続するためには,人的,物的資本の蓄積に直接的に関係する要素への影響が持続して,技術革新と結びついたコストを上回る全社会的な利益が生み出されなければならない。問題のひとつは,技術革新は速やかに導入できても,それが広範囲の利益を生み出すまでにしばらく時間がかかることである。生産性のパラドックス――1970年代と1980年代に観察された生産性の鈍化――はこのようにして説明することができる。そして,ニューエコノミー熱もまた同じように説明できるとする人もいる。
証拠を探す
彼らは正しいのか? これが,誰もが語る「新しいこと」なのか? 結局のところ,証拠はこれまでとは違った現象が何か生じていることを示唆している。1人当たりのGDPの成長率をとってみよう。それは,1990年代に入ってOECD各国で不均等な動きを示し,大部分の国で低下傾向にある。アメリカは,いくつかの注目すべき例外の一つである。アメリカの1人当たりGDP成長率の上昇は傑出している。というのは,それが,労働力利用の拡大という脈絡のなかで,労働生産性とマルチファクター生産性の両方の成長率の上昇を通じて実現されているからである。多くの産業分野において生産性の面ですでに世界の最先端に位置する国が,これほど力強くほかの国を更に引き離すというのは,どちらかといえば意外である。アメリカにおける生産性回復の大きな部分はICTの普及による。それは,部分的には技術と通信の価格低下によって促進された。最近の推計によれば,この4,5年のアメリカの生産高全体の増大のおよそ4分の1はICT関連の生産と投資によるという。これはG7のほかのどの国よりも遙かに大きい比率である。
ICT関連装置投資の全体的成長に対するこの直接的影響の大きさに加えて,アメリカではこの数年,マルチファクター生産性の成長率の顕著な上昇が明らかになっている。これはおそらく,ICT生産セクターそれ自身の活況を反映している。溢出効果に関して言えば,それを示すマクロ経済的証拠はまだほとんど明らかでないが,ミクロ経済的,かつ逸話的な証拠は,インターネットと電子商取引のネットワーク効果のおかげで,産業界が大幅な生産性の向上を実現し始めていることを示している。
ほかにもいくつかの諸国,例えばオーストラリア,カナダ,ニュージーランド,ノルディック諸国なども,それぞれ状況は異なるが,マルチファクター生産性の急速な上昇を経験している。オーストラリア,デンマーク,ノルウェーの場合は,マルチファクター生産性の成長率の向上が労働力利用の拡大と急速なGDPの成長と同時に進行した。これに対して,スウェーデン,そして特にフィンランドでは,マルチファクター生産性の成長率の上昇には,1人当たりGDP成長率の鈍化と雇用の大幅な減少が伴った。各国に共通していると思われるのは,産業企業のR&D強度の上昇と生産性の成長の加速化である。ICTの普及とその効率の向上はほかのセクターの技術革新を促進する役割も果たしているはずであるから,因果関係の方向は明らかではないが,様々なデータは,R&D投資の社会的見返りがそのコストを上回り始めているとする想定を統計的に支持する傾向にある。
新しい政策?
新しい経済環境を開くカギとなるのは,何かの単独の政策的テコではない。むしろ,相互に補強し合う諸政策の組み合わせが必要とされている。特に重要なのが,人的資本に対する投資を拡大し,経済の変化する要求に応えて労働力の迅速な再配分を促進するような,教育と労働市場の政策である。更に各国は,起業家精神や技術革新,開放的で競争的な市場を導く枠組みの形成を促進しなければならない。さもなければ,新しい技術が提供する機会は,実現が遅れ,あるいは完全に失われてしまうだろう。
同時に,いくつかの新しい要因が作用しているように思われる。従って,政策関連のいくつかの問題が立ち入って検討されなければならない。技術革新の促進にあたってベンチャーキャピタルはどの程度まで重要か? 行政的規制は新しい革新的な企業の創設にどのような影響を及ぼしているか? 過剰な雇用保護立法がより生産的な事業への労働力の再配分を妨げていないか?
ニューエコノミーの分配上の諸側面ももっと深く理解されなければならない。一方で,富を創出する新しい「無重力」の方法は,先進諸国と開発途上諸国の両方の恵まれない階層に対して,「回線をつなぎ」,経済に参加する新しい機会を与える。他方で,「デジタル格差」の指摘を否定することはできない――同様の「格差」は,自動車から電話にいたるどのような技術の導入に際しても生じたとはいえ。
最近の生産性の向上がどこまで本当にニューエコノミーに関係しているのか,どの程度まで強力な景気循環効果にすぎないのかを,確信をもって言うにはまだあまりにも早すぎるだろう。我々はただ,市場によるハイテク企業の過大評価を現実の技術進歩と混同して,陶酔感に浸っているだけではないのか?
そうではないだろう。ICTの重要性は不断に高まりつつあり,生産性の向上はいくつかの国で続いている。このことは必ずしも,将来も永久に高い成長率が期待できるという意味ではない。我々はまさに,重要な「レベル」へのシフトの局面を目撃しているのかもしれない。それは,所得水準の大幅な向上を実現してしまえば,最終的には終局に達するだろう。市場にとっては,それがいつのことかが問題となる。しかし,さらなるシフトが生じるのかもしれない。アメリカにおいてさえいまだ完全には利用し尽くされていない通信ネットワークの提供する可能性についても考えてみなければならない。更に高率の持続的成長はそれほど非現実的ではないのかもしれない。しかし,コンピュータの場合がそうだったように,インターネットやドットコムが生産性統計の上に姿を現すまでには,まだ多少の時間がかかるだろう。
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