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過去50年間で3度目の経済革命にフランスはどのように取り組もうとしているのか?
これはフランスがこの50年間に経験する3度目の経済革命である。最初の革命は近代化の革命で,1950年代と60年代に起こった。言うまでもなくフランスは,19世紀のまさに最初からイギリスに次ぐ世界第2の極めて豊かで革新的な工業国だった。しかしその後,20世紀の前半にフランスはアメリカやドイツ,更にはイタリアやロシア,日本などの新参国に追い抜かれた――これが,人口の減少と相まって,1940年の不名誉な敗北の少なからざる原因の一つとなった。戦後のフランスは,経済復興と再工業化を優先課題とし,驚くべき成功を収めた。1970年代末までにフランスは西ドイツに次ぐ世界第4位の経済大国となり,乗用車や航空機,宇宙,高速鉄道,地下鉄,原子力,石油,公共事業,薬品,医学研究などの戦略的な分野で最先端に立った。経済に占める農業の割合は,対GDP比で35%から15%へと相対的に低下したが,絶対額では急速に成長するGDPのなかで依然として極めて重要な地位を占めている。伝統的な農民の地位は,実際,国民だけでなく世界に供給する最先端の食品工業にとって代わられた。高級品産業(ファッション,贅沢品)の再編成についても同じことが言えた。銀行業や旅行からホテル産業にいたるサービス産業は,大戦直後の貧しいGDPの40%未満から35年後の巨大なGDPの60%以上を占めるようになった。
第2の経済革命は1980年代と90年代に起こった。それは自由化の革命だった。1945年から1981年までのフランスのルネッサンスは,その成果がどのようなものであれ,基本的には国家の仕事だった。それはまず,おそらくは世界で最も寛大な政府支出による学校と大学のネットワークを作り出し,試験と学位取得による真の能力主義システムをもたらした。しかもそれは,巨大な国有セクターを基礎としていた。そこには,鉄道やたばこ産業,テレビ放送,郵便事業などの伝統的な独占体にとどまらず,自動車産業や石炭,石油,鉄鋼,化学,銀行,保険,更には広告などの中枢セクターの大部分ないし全体が含まれていた。民間企業でさえ,その戦略を国家と一体化しようとし,退職した政府高官を幹部に迎え入れた。更に労働組合も,広範囲の様々なインセンティブを通じてこのシステムに組み込まれた。それは,ソ連スタイルの安価な住宅供給から,憲法に定められてはいても選挙されることのない国の第3院「経済社会評議会
Conseil Economique et Socal」への参加に及んでいた。
皮肉なことに,このシステムの全面的再編成のためには,社会主義者の大統領,フランソワ・ミッテランを待たなければならなかった。1981年から83年にかけてミッテラン大統領は経済のいっそうの国家化と企業のさらなる国有化を進めた。その結果は明らかに破滅的で,1983年に政策の根本的な転換が決定された。ローラン・ファビウスやピエール・ベレゴボワといった断固たる自由主義経済転換論者たちによってそれが実行された。国有企業は民営化された。労働組合の権限は縮小された。世界市場への適合が合い言葉となった。更にミッテラン大統領は,フランスの経済自由化が欧州統一市場と欧州単一通貨の段階的実現と並行して進むように配慮した。失業の急増や最下層の「新貧民」の出現など,いくつもの社会的副作用があった。しかし,自由市場革命は全体としてフランスの経済基盤を劇的に強化し,この国がヨーロッパの主要国としてドイツと並ぶようになるのを助けた。リオネル・ジョスパンやドミニク・シュトラウス=カーン,あるいはファビウスなどの伝統的左翼も,あるいはエドゥアール・バラデュールやジャック・シラクの保守的右翼(フランスでは,彼らもまた左翼と同じように国家主義志向だった)も,うわべはともかく,この変化に抵抗したり,これを逆転させようとは考えていない。
第3の革命は,ニューエコノミーの革命で,1990年代の末に起源をさかのぼることができ,この数カ月前に本格的に始まったばかりである。極めて印象的ないくつかの数字がある。2000年上半期までにパリCAC-40インディックスに掲示された40社のうち8社までがデジタル・エコノミーに属している。その払い込み資本額の合計は,インディックス上場企業の払い込み資本額全体の50%以上になり,旺盛なパリ株式市場の牽引力と見ることができる。フランスのナスダックであるヌーボーマルシェに上場された「ニューエコノミー」企業は常にめざましい動きを示し,その株式価格は100%から200%も急騰している。既存企業も等しく魅力的である。電気通信とインターネット関連事業のトップ企業であるフランステレコムは,最高経営責任者のミシェル・ボンが傘下のインターネットプロバイダーWanadooを公開する計画を発表した3月,たった1日で25%の上昇を記録した。2カ月後,一部のeビジネス企業を襲った小崩落の直後,同社によるOrangeの大胆な買収は市場を反発させる一助となった。eビジネス関連の新設企業(フランス人はこれに「ガゼル(レイヨウ)」というややセクシーな名前を付けている)へのグローバルな投資は毎年300%も増えようとしている。ニューエコノミー企業はフランス全土で続々と生まれており,すでにパリ近郊のいくつかの地域の外貌を変えてしまった。例えば,昔の衣料産業の町ルサンティエはいまや「シリコン・サンティエ」と名を変え,かつてはパリで最もくすんだ地区だった十一区のオベルカンプ街やパルマンティエ通りは,いまやしゃれた小さなオフィスや建物,モダンなカフェの密集地となっている。
フランスのニューエコノミー革命は,その多くを先行する2つの革命に負っていて,それらの頂点をなすとさえ言うことができる。ところで,ニューエコノミーとは何か? それは,旧来の経済がデジタル化しただけなのか? フランスの工業とサービスは,その巨大な規模と複雑さのゆえに,新しいコンピュータおよびインターネット関連の技術に強力な市場基盤を与えてきた。これは,国営の巨大企業体制のもとでさえ,本当だった。1970年代末までに,当時は大部分が国有だった銀行産業は,「スマート」クレジットカードの導入に大きく貢献した。まだ完全な国有企業だったフランステレコムがおよそ20年前に導入した家庭用コンピュータネットワークのミニテルについては,多くの批判がありえよう。信じられないほど時間がかかり,非効率的で,高価につき,その主な実用的用途はセックス・フォーラムだけだ,等々。しかし,それでもそれは,1990年代にインターネットが爆発的に普及するまで,グローバルなオンラインサービスの世界最初の試みだったのである。1990年代のもっと開放的で起業家にもっと使いやすい環境のなかで,それはいっそうの普及が期待されよう。
しかし,未来はどうだろうか? フランスは,極めて近い将来,難しい選択を迫られるだろう。頭の痛い問題の一つは頭脳流出である。フランスの優れた教育システムはほとんどあらゆる分野において優秀な卒業生を生み出してきた。つい最近まで,彼らは祖国のルネサンスに喜んで貢献した。しかし,フランス経済は,成功すればするほどグローバル化した。グローバル化の進行は,フランスの青年たちがこれまで以上に外国により良い機会を求めるようになることを意味する。現在,25万人あまりのフランス人がトニー・ブレアの自由市場英国に住むと言われている。50万人がアメリカに移住したとされている。カリフォルニアのシリコンバレーだけでも6万人のフランス人を迎え入れている。彼らは,高給や有利なストックオプション,安い税金,それに事業を設立し,豊かに(本当に豊かに)なり,フレキシブルな就労パターンを楽しむ魅力的な機会に誘惑される。ドイツのシュレーダー首相の財政改革が全面的に成功すれば,フランスとドイツの間でも同じようなことが起こるだろう。
フランスは,この傾向を逆転させるだけでなく,世界のほかの部分から優秀な頭脳と人材を引き寄せることができるようになるだろうか? 現在の経済・財政相ローラン・ファビウスはおそらく問題を明確に理解している。ほかの指導者は混乱している。しかし,決定的な回答は国民自身から与えられるだろう。私の推測では,フランス人はみんな,ニューエコノミーの輝く未来に心からわくわくしており,それを現実のものとするために何らかの根本的な変化を受け入れる用意がある。いずれにせよ,第3の革命はまだ始まったばかりである。
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