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Home OECD Tokyo > OECD Observer 日本語版 > No.221/222


 OECD Observer 日本語版

持続可能な発展とガバナンス

CHRIS PATTEN
MEMBER OF THE EUROPEAN COMMISSION

 無理強いではなく,説得が世界の退廃傾向を逆転させる。

 持続可能な発展という言葉は,1972年に国連人間環境会議が用いたのが最初である。私の友人の1人がまことに適切に要約している。「我々は,単に週末に訪れるだけでなく,永久にとどまり続けるつもりでここ地球に住まわなければならない」。

 当時,ほとんどの国の政府――よい政府であれ,悪い政府であれ,更には醜悪な政府であれ――が環境省と環境大臣をもっていた。しかし,持続可能な発展のためには,省や大臣,白書といったもの以上が必要である。それは複雑に入り組んだ制度,政策,価値を必要とする。現実のエコシステムを救うために必要な政治的エコシステムを作り出すには,適正なガバナンスが不可欠である。

 これは単に発展途上国だけの問題ではない。全世界を通じて,政治的抑圧や戦争,腐敗,お粗末な経済運営は,現在と未来の世代の環境と福祉に対する敵である。Amartya Senが説得力をもって指摘するように,開放的な独立した社会で飢餓が生じることはなく,独裁者が地球の友であることはありえない。

 しかし我々は,将来の世代の立証不可能な利益のために難しい決定を下すことのできる政府を,たとえ最も高度に発達したものであれ民主主義のシステムに依拠して作り出せるだろうか? 私はこう主張したい――責任ある政府は,その本質からして,困難な決定を下すのに必要な国民的正統性をより確実に獲得することができ,それだけ腐敗しにくい,と。このことは民主主義を,環境のコストを政治と経済の決定に組み込むにふさわしい位置に置く。

 しかし,環境保護主義を信奉する民主主義的な指導者でさえ,ときとして,支配的な国民のムードや強力な民間圧力団体によって絶望的に拘束されるかに見える。それゆえに我々は,単なる投票箱よりも広い範囲を検討しなければならないのである。自由民主主義は選挙以上のものを必要とする。それは,チェック・アンド・バランスの環境を,排他的な価値に迎合しない環境を必要とし,このことが自由民主主義を単に最大多数の利益ではなく,すべての市民の利益のなかで繁栄させることを可能にする。

 自由民主主義のこの本質的な構造の一部が,今日我々が市民社会と呼ぶところのもの,つまり専門家グループから教会,非政府諸組織に至る独立した集団と組織である。彼らの役割と影響力は,全国選挙で選ばれた政府のそれが急速に低下するにつれて,ますます大きく拡大している。民主主義の政府の失敗は市民社会――非政府諸組織――が救済することができる。それゆえに,持続可能な発展を確実にするためには,市民社会がこれまでよりも遙かに重視されることが必要である。

 だが,ここに一つの危険がある。民主主義の政府が伝統的に依拠してきた大衆的政治組織が,世界のいたるところで崩壊しつつある。このことが政党を,主張の声高な富裕層や明確な独自の野心をもつ利害集団の人質にしてしまう恐れがある。敏感で分別のある多数派政府を作り出してきた伝統的なメカニズムの権威は,政府が多国籍企業の力の高まりに対応を迫られるようになるにつれて,弱体化しようとしている。

 十分に賢明な各国政府と多国籍企業は,経済や環境の変化,技術などによって国境線が乗り越えられているいくつかの分野においては,各国の主権の共同化が必要とされていることを知っている。グローバリゼーションの結果を管理しようとして国際的な組織が――地域的レベルで,更には全地球的な規模で――作られている。しかしそれらは,必要な正統性を付与されるために必要な一般大衆の忠誠を獲得するうえで困難に直面している。またそれらは一般大衆による承認を欠いている。それは,意志決定への参加と公開された説明責任が意識されることによって獲得される。

 このギャップにNGO活動の奔流が入り込んでいる。それは多くの点で,成長する全地球的な多元主義の賛嘆すべき,歓迎すべき現れである。開発途上諸国の多くでは,NGOは各国政府の構造よりも民主主義的である。しかし,豊かな北半球ではそうではない。尊重されるべき議論が,しばしば,我々すべてにとって有害な方法で提起されている。それは,多数派絶対主義よりももっと悪い,いわば少数派絶対主義である。

 解決されるべき問題は,ダイナミックな貿易の便益をいかにして拡大して,貿易がほとんどの人を豊かにしているときにその背後に取り残されている少数の国々,各国内の少数の人々をいかにして助けるか,である。先進工業諸国における議論が,いかに意図は善良であれ非民主的な少数派によって支配されるとすれば,答を得ることはできないだろう。適切なガバナンスとは,少数派が常に正しいという意味ではない。

 民主主義的な政府は,NGOの議論にいっそうの責任をもたせることによって,この課題に正面から向き合わなければならない。政党は,利害集団が党の政治論争に全面的に寄与できるような構造を作り出さなければならない。各国政府と国際機関は,公共政策に関する議論を開放し,最終的には多数派によって決定されるプロセスのなかに情報豊かな少数派の力を取り入れなければならない。政策をめぐる議論のなかだけでなく,サービスの提供においても,NGOを更に広く関与させなければならない。

 持続可能な発展をめぐる議論を可能なかぎり建設的にするために,またそれが多数派の同意を獲得し,少数派の黙認を得られるような結果を生み出すように,豊かで多元主義的な先進工業諸国は,みずからも学ぶべきガバナンスの教訓が存在することを理解する必要がある。

 組織的,政治的なこのような変化の背後には,民主主義の精神の再確認がある。民主主義とは,対話の冒険であり,説得し,同意を得る試みである。平均的な男女は平均を遙かに超えているというAdlai Stevnsonの記念すべき言葉を理解することである。

 我々は,政治的指導者がスーパースターである時代を生きてきた。約束や解決策の定式化は,普通は,選挙による何度もの洗礼を受けてきた最もカリスマ的な指導者にとってさえ,その力の範囲を超える。もちろん指導者は,良くも悪くも,事態をあれこれの方向にわずかながら動かすことはできる。しかし私の考えでは,人間の虚栄心は,無理強いよりも説得の価値を認識する政治指導のスタイルに常に席を譲るべきである。善意の行動の集積を作り出すことができるのは理性だけであり,それだけが世界の堕落を回復し,その環境を,そして精神的な理想を守ることができる。

 これは私のまったく独自の考えというわけではない。紀元前6世紀の中国の賢人で皇室司書だった老子が書いている。

その存在を
民衆がほとんど知らないとき,
指導者は最高である。
民衆が従い,擁立するときは
それほどよい指導者ではない。
民衆を大事にしなければ,
民衆も指導者を大事にしない。
だが,よき指導者は,
仕事を成し遂げたとき,目的を達成したとき,
何も語らない。
民衆は皆,こう言う。
「これは自分たちでやった」。

 そのとおりである。そして彼らが成し遂げるのは,運が良ければ,世界を救うために民主主義を活性化することである。


*この文章はChris PattenのBBCリースレクチャーを要約したものである。


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