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新しいミレニアムにおいて,現代社会は最古の文明の一つから,どのような教訓を学ぶことができるだろうか?
新しい経済,新しい政治,新しい技術,新しいメディア。新しい製品・サービス,新しいソフトウェア及び新しいハードウェア。新しい,新しい,現代社会は,イノベーション,すなわち新しいアイデア及び発見の推進及び活用に没頭している。最近になって人間の心理が根本的に変化したのでないとすれば,このような目的の追求が引き起こす興味,興奮及び懸念にはほとんど新味がないはずである。しかし,我々の科学・技術時代の幕開け以前に,新しさにこのようなプレミアムがついた時代がかつてあっただろうか。
思い浮かぶこのような時代の一つは古代ギリシャである。古代ギリシャの古典的な「黄金時代」が,新規性と創造力に満ちた時代であったことはよく知られている。紀元前7世紀から4世紀までに,ギリシャ人は,例を見ないイノベーションの数々を実現した。このイノベーションにより,文学,芸術,建築術,哲学,政治学,医学,数学などの分野における西洋の思想及び業績の二千年の基礎が築かれた。ギリシャ人がイノベーションを発見したと言うこともできるだろう。すぐれてイノバティブであった(世界で最初の本当のアルファベットを発明した)ばかりでなく,イノベーションについて最初に書き記したからである。「イノベーション」の意味の最も早く使われた言葉は,ギリシャ語のkainotomiaで,紀元前422年のアテネの劇作家アリストファネスが書いた喜劇にでてくる。
古代ギリシャの重要なイノベーションは,科学及び技術の面ではなく,思想及び文化の面で現れた。しかし,よく調べてみると,今日のイノベーションの原理は,古代ギリシャで考えられ実施されたのと基本的に同じもののようである。「この世に新しいものはない」ということだろうか。この言い回しは,聖書の「伝道の書」によって馴染み深いものになっているが,元々は,初期のギリシャ哲学者のピタゴラス及びパルメニデスの思想から出たものである。我々にとって目新しい観点(活気溢れ多様性がある古代ギリシャに生きた人の眼)から過去のイノベーションを見てみると,現在及び将来のイノベーションについて何事かを学ぶことができよう。
それでは,このような原理とはどのようなものであったのだろうか。アリストテレスが一つの出発点を示唆している。アリストテレスは古代世界で最も幅が広い分析的な思想家であり,論理学,倫理学,文学,生物学などについての独創的な著作を残している。アリストテレスの暫定的な命題は,「イノベーションは,これが行われる場所によって異なることを意味する」ということだった。アリストテレスは,その著書『政治学』の中で,ある状況においてイノベーションが有益であるということはイノベーションが他の状況においても有益であることを必然的に意味すると考えるのは誤りであると述べている。例えば,社会政治的イノベーションは,技術的または芸術的なイノベーションとはまったく異なる。残念なことに,アリストテレスは,少しばかりコメントした後,別の機会に取り上げると約束して,このテーマを打ち切る。しかし,実際には,イノベーションの詳細な哲学的分析は何ら残されていない(アリストテレスが言ったであろうことを想像して再構成してみるのも面白いかもしれない)。いずれにせよ,アリストテレスは,明白なことではあるが往々にして見過ごされがちな原理を思い起こさせてくれる。イノベーション戦略においては,出発点で次のような問題を検討する必要がある。この状況におけるイノベーションの意義は何か。ここでは必要とされるイノベーションとは正確にはどのようなものか。
古代ギリシャ人のイノベーションとの出会いから出てくる他の原理は,紀元前5世紀及び4世紀に残された実に様々な書き物からつなぎ合せることが可能である。おそらく,ここから出てくる最も重要な一般的命題は,イノベーションは動的なものであるということであろう。イノベーションは,必然的に,個々のイノベーターと大衆との間,伝統と変化との間,また,古いものと新しいものとの間の活発な相互作用を伴う。例えば,音楽の面では,古代アテネ人は,伝統的な音楽からの根本的な決別といった印象を聞き手に与える様々な大胆なイノベーションを経験した。イノベーターは,「珍奇なものを空からむしり取ってきた」(アリストファネスの言葉)ことについて,容赦のない皮肉を浴びせられた。哲学者プラトンは新しい音楽に対する強固な反対論者で,理想的にはこれをまったく禁止するべきだと考え,イノベーションは,馴染みのある要素及び構成の変形または再編成以上のものであってはならないと論じた。イノベーションが成功するためには,何に価値があり何が有益であるかということについての個人及び社会の既存の考え方に訴えなければならない。孤立状態でイノベーションを追求すると,反感または少なくとも無理解をもって迎えられる可能性が高い。
しかし,同時に,イノベーションの追求を培うような多元主義的環境は,多様な反応を生み出す傾向もある。
所詮,イノベーションは,すべて,「不均等な」普及のし方になるのかもしれない。イノベーションの影響やポテンシャルを評価するためには,多様な時の物指しや消費者の状況を考慮に入れることが必要である。重要なことは,古代ギリシャの音楽上のイノベーションはかなりの懸念を引き起こしたが,肯定的な反応も呼び起こしたということである。新しい音楽家たちは西洋音楽の伝統に永続的な足跡を残さなかったものの,記録によると,当時においては,アテネの若者層やそれほど保守的でない層には受けがよかった。昔も今も,流行は移り変わる。ただちに全体に受けるような流行はまずないだろう。結局のところ,新しい音楽家たちは,生きている間に名声を得,財を成し,後の世代は彼等の作品を古典とみなした。ビートルズとの類似点をどうしても指摘したくなるところである。
ヒポクラテスにかかわる医者の学派が始めた医学上の理論及び実践から,新たな原理が生まれる。魔術や根拠のない治療法でなく病気及び治療の経験的な研究を重視する古代ギリシャの医者たちは,当時の急進的なイノベーターであった。しかしながら,皮肉なことに,彼等自身は自分たちのことを伝統主義者であると考え,他の医者たちが大衆受けや儲けのために行う往々にして珍奇な新しい術に憤慨した。彼等は,特に,人の健康及び病気に関する新しい理論という形でのイノベーションとの闘いに意を用いた。しかし,ある種のイノベーションにとって,主たる要素及び戦略は,昔も今も,理論の再構築である。人間の性質についての証明不可能な新しい理論の構築に携わった様々な古代ギリシャの医者たちは,儲けの多い方法を発見していた。近代医学が興る前2,000年に亘り,彼等の「体液」理論に基づいて(往々にして患者の犠牲の下に)医業が栄えた。
一方の極端においては,この種のイノベーションは,言葉の操作,すなわち単なる修辞術による新規性にすぎないとも思われる。他の極端においては,包括的な知的・心理的な再方向付け,すなわち,「パラダイム転換」とも見られよう。修辞術の考え方は,問題に複雑な要素を持ち込む。修辞術とは,像の裏にある真実を反映するかもしれないし,反映しないかもしれない方法で,何事かを説得力をもって提示する方法である。言い換えれば,マーケティングの一手法である。何かを「新しい」と呼ぶことは,一般に,効果的な修辞的道具であると考えられている。「新しい経済」,「新しい労働」,「新しい世界秩序」などである。もとより,何かが「新しい」と呼ばれるからといって,それがイノベーションであるわけではない。いや,やはりイノベーションだろうか? 紀元前5世紀にシチリア島で修辞術がギリシャ人により体系化された際,その先駆者は,修辞術は「古いものを新しく,新しいものを古くする(見せかける)」ために用いることもできると教えた。我々は,「本当に」新しいものを単に新しいと「呼ばれる」ものとを区別することが可能だと考えたい。しかし,修辞家や市場商人にとって,重要なのは結果である。新規性がプレミアムを生むような世界では,「新しい」ということが売りになる。実際に世の中に真に新しいものはないとしても,大衆は,少なくとも一時的に,新奇なものが売りに出ているという考えを買う気にさせられるかもしれない。これが古い製品で新たに売り出されたものであったとしても,また,リサイクルされた古いアイデアであったとしても,マーケティングの方法によって大きな違いが出てくる。
このことは,イノベーションの層やレベルを見分ける必要があることを示す。ある認識を創出するということは,「新しい」製品を生み出したりイノベーションのプロセスを実施することとは異なる。これらはいずれもそれぞれ異なるアプローチ及び専門能力を必要とするもので,ダイナミックなイノベーションには不可欠かもしれない。このような専門能力を使いこなすには,どのような個人,組織,文化が最も適しているだろうか。自由,競争,インセンティブといった考えが「イノベーションのカルチャー」の鍵であることは,広く認められている。古代ギリシャ人は,このような考えにも馴染んでいた。彼等は,民主政治を考え出し,歴史上初めて本格的な貨幣制度を創出した。しかし,ギリシャの政治的自由は女性や奴隷に及ばず,また,競争は,独立国家間の絶え間ない戦争という破壊的な形で現われた。紀元前338年,雄弁家のデモステネスは,軍事的なイノベーション(例えば,戦略や攻城砲)が他のすべてのイノベーションに優先されていると嘆いたが,ほどなく,マケドニアのアレクサンダーとその後継者によって最初の世界帝国が建設された。従って,ある分野でのイノベーションは,他の分野でのイノベーションを促進したり,阻害したりする可能性がある。政治権力の集中に伴い,古代ギリシャ人の創造的エネルギーは,より穏やかな方面に向けられた。
イノベーションは変化を意味し,変化は損失を意味する。新しいものが古いものに取って代わる。これは実質価値の損失を意味することがあるので,イノベーションを行うべきでない場合についても学ぶ必要がある。創造力を維持するためには,イノバティブな個人及び社会は,永続的な価値があるものを確認し,損失覚悟で努力する必要がある。古代ギリシャ人は,価値がある伝統を堅持し,宗教的儀式や公けの行事の中で服喪のための時を制度化した。現代社会は,イノベーションに伴う破壊について反省する時間が少なくなっている。結果として今日の絶え間ないイノベーションが不安や不満(及び興奮や驚嘆)を生じさせているとしたら,我々は,過去の経験を見直すことにより,イノベーションについて視点を新たにするために時間を取るのがよいだろう。結局,世の中に新しいものはないのかもしれない。
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