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BRETT PARRIS,
GLOBAL ECONOMIC ISSUES GROUP, WORLD VISION*
ジュネーブ2000におけるA Better World for Allの発表は,国連,OECDならびに国際金融機関―世界銀行およびIMF―の間の関係密接化における新段階を示すものであった。予想されたところであるが,同報告書は,賞賛と批判の双方を受けた。World
Visionは,「国際開発目標」が大いに必要とする新たなはずみをある程度得ていることに勇気づけられたものの,正直言って,それには虚ろな響きがかすかに感じられた。ジュネーブ2000は,1995年のコペンハーゲン目標を再確認する重要な会議となることが意図されていたが,しかし,OECD諸国の上級官吏はほとんど姿を見せなかった。
明らかに,開発政策および資金供与の危機が存在する。1990年代の重要な国連会議の大部分の目標は,ほとんど達成されなかった。この10年間は,崇高な約束,達成されないコミットメントおよび軽減されない苦しみで満ちている。OECD諸国が長引く不況や景気悪化のさなかにあるのだとしたら,開発目標に対する実質的なコミットメントがない事情もいくぶん理解し易いだろう。しかし,1世代において最も長い好景気を享受している中で実質的なコミットメントがないのは,先進国政府に対して腹立たしさからの非難を招くものであり,先進国市民にとって恥辱である。
著名なエコノミストのポール・クルーグマンは,対外援助に関する米国議会での討議が米国民に政府が実際より遙かに気前がよいと思わせるように操作されていることについて,7月にニューヨークタイムズ紙で痛烈に非難し,前記の驚くべき利己主義を浮き彫りにした。大部分のアメリカ人が信じているように国家予算の10%あるいは15%を対外援助として供与しているどころか,1998年の金額はGNPのわずか0.1%で1992年の半分であり,また,OECD平均もわずか0.24%であった。クルーグマン氏は,Jeffrey
Sachsの印象的な分析を引用している。「平均的アメリカ人は,毎年,世界最貧の6億の人々を助けるために総額4ドルの税金を納めるよう要求されている」。これは,デンマーク,ノルウェー,スウェーデンおよびオランダと極めて対照的である。これら4カ国は,国連が勧告したGNPの0.7%を超える額を供与している。
A Better World for Allが児童(特に女児)の保健および教育に重点を置いているのに勇気づけられた。児童のための適切な保健,栄養および教育は,いずれの国の将来の開発にとっても必要不可欠な要素である。栄養不良の児童はまともに学習できず,また,労働者がまともな教育を受けていなければ開発は著しく阻害される。女児や女性に対する差別は彼女たちの能力を低下させるだけでなく,男児や男性の心理的・情緒的発達を妨げて国を弱体化する。同報告書は,開発の危機の環境的側面も強調している。地球温暖化,森林破壊,魚の乱獲,砂漠化といった現実問題に対する大部分の欧米諸国の極端に冷淡な反応にかんがみて,まことに喜ばしいことであった。
他方,同報告書が市民社会グループの怒りを最も買った点の一つは,次の主張であった。「各国は,関税その他の貿易障壁を低めなければならない(「目標を達成するために必要なこと」に関する記事参照)。開発および工業化政策が極めて複雑になっている中で,またもや単純な貿易自由化擁護論を聞かされて失望した。われわれは,歴史を忘れるのが何と速いことか。イギリスが本格的に貿易障壁を引き下げ始めたのはやっと1842年になってからのことで,1世紀半近くの工業化保護の時期を経た後であった。
すべての関税が悪いとは限らない
イギリスは,インドに「自由貿易」を強要し,その結果,インドの高度に発達していた繊維および鉄鋼産業はほとんど壊滅した。ラテンアメリカの繊維産業も同じ様な運命をたどった。フランス,ドイツ,イギリスそして特にアメリカは,いずれも,関税の壁に守られ,また市場金利を下回る借款を利用して国内産業を発展させた。実際,関税は,これら諸国および他の先進6カ国の1875年から1914年までの経済成長と明確な相関関係があった。更に時代を下って,日本,台湾および韓国は,いずれも,「自由貿易」とは似ても似つかない措置を用いて工業化したが,その措置の多くは,現在WTOの規則の下で禁止されているかまたはやがて禁止されるものである。
だからと言って,単純な全面的幼稚産業保護政策が解決策になると言いたいわけではない。離乳するのを拒んで膨れ上がった貪欲で非効率的な「幼児」が多くの諸国に存在することは,このような方途にリスクがあることを物語っている。輸出の奨励は確かに重要であるが,それぞれの国の状況や発展段階の微妙な違いに合わせたアプローチがあるべきで,また,比較優位はダイナミックでかつ努力により獲得できるものであるとの認識を持つべきである。比較優位は静態的なものではない。すべての開発途上国のすべての部門における急速な貿易自由化を単純に擁護する主張は歴史に真っ向から反するものであり,また,開発途上国を低い工業化段階に押しとどめ,狭い範囲の一次産品の輸出に依存させることになる。開発途上諸国は,100年以上先行している諸国の力に自国の初期的な産業をどの程度さらすかを自ら決定する自由を与えられるべきである。
腹立たしいこと
欧米諸国が推進していると思われる政策で最も腹立たしい側面は,開発途上国に対し,経済統合および自由化のプロセスに加わることしか選択肢を与えないことである。このプロセスは先進国には極めて適切かもしれないが,開発途上国の特別のニーズはほとんど考慮に入れていない。開発途上国によるWTO協定順守について5年あるいは10年の猶予期間を設けたり,極めて不十分な資源を技術援助のために与えるだけでは,問題に対して無益なアプローチである。最近のある国連報告は,開発途上諸国にとってWTOは「真の悪夢」であるとまで言っている。協定を単純に履行するだけでも,これら諸国の開発予算の丸1年分を費やすかもしれない。開発目標にかんがみて,これは,これら諸国の資源の適切な使用方法とは言えない。
A Better World for Allが「より多くの,よりすみやかな債務救済」を主張しているのは適切である。OECD諸国が怠っているもう一つの極めて重要な分野だからである。イギリスは,第1次世界大戦の後,アメリカに対する債務の全額返済を要求されなかったし,また,ドイツは,第2次世界大戦の後,多額の債務救済を与えられた。ところが,大部分の開発途上国は,多国間銀行やOECD諸国の金庫に金を納め続けなければならず,自国の最貧困層の健康,教育および衛生を改善することはまず不可能になっている。Jeffrey
Sachsは次のような主張を行った。
「IMFは,保健省および教育省の支出合計額を超える債務償還を繰り返し迫っている。世界がIMFの融資条件について苦情を述べると,IMFは,苦情を言っている者はマクロ経済を知らない者だと応じる。私はマクロ経済について無知ではないが,世界の最貧国の予算事情はとんでもないことになっていると主張するものである。これら諸国は,遙かに多くの支援を必要としている。これら諸国が予算を均衡させるべきであることはそのとおりであるが,それには,援助が大幅に増額され,債務が帳消しされることが前提である。IMFは,この事実を吹聴するべきであり,隠すべきではない」(参考文献参照)。
一層の支援が必要
主要な国際組織や援助供与国は,弱者の支援および開発途上の国家・制度の強化をこれまでより遙かに重視するべきである。開発途上国が実効性,効率,透明性および責任性を改善するのを可能にするためである。また,国際組織や援助供与国は,これまでより実効的な技術移転を確保し,かつ,極めて長期の投資のためにこれまでより多額の株式資本や貸付資本の供与を確保しなければならない。
OECD諸国が,援助予算を削減し,適切な債務救済を遅らせ,後発開発途上国からのすべての輸出に対する無税かつクォータ・フリーのアクセスを拒否し,農産品,繊維品および加工品といった貧困国にとって極めて重要な分野における関税引き下げ協定を果てしなく引き延ばしている一方で新たな貿易交渉ラウンドを求め続けているのは,まったく不合理である。いやしくも21世紀に開発目標を達成し,これまでより繁栄した公平な世界を実現する希望を持てるようにするためには,ビジョンを持ったOECD諸国の指導者は,このような不公正で近視眼的なアプローチに終止符を打つべきである。
最後に,OECDやその他の国際組織が「市民社会」との一層の対話に向けてとった措置は賞賛に値するものであり,このプロセスは継続されなければならない。もっとも,大規模なNGOとの対話だけではなく,貧困者自身の小グループや代表者との対話もなければならない。世界銀行の「貧者の声」プロジェクトも当を得たものであったが,このプロジェクトの結果が各組織の経常的活動に実際に取り入れられているのかどうかが気になる。NGOとの対話は重要であるが,貧困者の生活を左右する決定への貧困者自身の参加の奨励に取って代わるものではない。■
*World Visionは87カ国で4,000を超える開発・救済・支援プロジェクトにおいて活動しているキリスト教NGOのパートナーシップである。
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